空ヲ想フ

現実とは違う世界が生きる糧…2022.06.12大幅リニューアル🙇

記憶をたどる

【スポンサーリンク】

アニメちはやふるを改めて見ていたら

太一が何だか可哀想になってきた……(^▽^;)

最初にちはやふるに接した時は

これはもう新でしょう、と思っていたのだけれども

新に卑怯と言われて

一所懸命変わろうと努力してきたんだわね。

でも人間なんてそう簡単に変われるものではないから

時々出ちゃうわけだ。

先にA級になった肉まんくんに

運がよくてよかったな、と言っちゃったり

団体戦を考えてる新に

余裕あんだな、と言っちゃったり

かるたを辞めて

自分を振った千早が傷つけばいいと思ったり。

こういうの、上手だなあ、作者。

つーか、いい奴になろうとしてるのに

追い込まれるとついひどいこと言っちゃうとこが……

ワタシとそっくりなんですが(^▽^;)

 

でも改めて見ていたら

わかんない、と思った。

一応、振られたけど

千早ちゃんは太一が側にいたから見えてなかっただけで

いなくなって、あんなにボロボロになって

あんなに一所懸命立ちあがって

いや、まだわかんないよ。

新に返事もしてないし。

 

これからが楽しみだな。

 

でも、ちはやふる、もそろそろ終盤なのかしら。

だって、高三の夏が終わったら

もう秋だよ、クイーン戦予選だよ。

原作のど頭でクイーン戦を戦ってる千早がいて

そこから6年前の回想に入るってことは

高三の冬でしょ? 挑戦。

とても詩暢ちゃんに勝てる気がしないんだけどもf^_^;

 

ちなみに、ワタシは

詩暢ちゃんと、北央OBの須藤が一番好きかな。

 

伊勢先生もひどいことするもんだな、まったく。

あんなに小さい時に「同年代の友達はいない方がいい」と言っておきながら

あとで「友達がいないと若宮先生も心配してる」とか言うんだから。

だから、原田先生の名人挑戦で近江神宮に行った時の

千早と詩暢ちゃんとのシーンは何だかほんわかした。

 

須藤は、何だかんだ優しいから。

先輩、というより、おにーちゃんな感じが好きだ。

いや中高一貫だとそうなるのかしら。

 

そんなわけで百人一首ということで

記憶を掘り起こしてみた。

きっかけは小四の冬、くらいだったかな。

担任の先生が百人一首をしよう、と

国語の時間を潰して、百人一首を教えてくれたんだ。

あ、ワタシらの頃は、土曜日もあったんで

授業数に余裕があって意外とそういうことがあったような気がする。

で、教えてくれたのは

源平戦みたいな感じだったのかなあ。

それとも散らし取りのような感じだったのかなあ。

一班6人で百首を並べたかどうかは覚えてないのだけど

バラバラに札を置くんではなく

きちんと何列かに並べたのは記憶にある。

 

で、その時、ハマったんだよ。百人一首に。

憶えて早く取れた時の気持ちよさ。

先生に褒められた時の嬉しさ。

その後、何回か授業を潰してくれて百人一首をやって

ワタシは単純に楽しかったけど

まあ、クラスの大半は授業がなくて楽しんでたかもしれない(笑)。

で、その後、先生の家(先生の家は寺で広いお堂があった)で

先生の教え子がみんな集まって百人一首大会とかやったりして。

自分でも百人一首買ったりしたなあ。

小五になると、クラブ活動がはじまって

迷わず百人一首クラブに入った(笑)。

でも、それはほんの2週間くらい。

4月の下旬に千葉に越したので。

 

千葉に越してからは、百人一首に触れることはなくなった。

ちはやふるに、「千葉はかるたが盛んではないから」という

机くんの言葉があるけれど、その通り)

授業の一環で1回やっただけ。

何だか周囲に「すごーい」と驚かれた記憶が……

完璧に憶えてるのは十首くらいだったのだけどσ(^◇^;)

何となく憶えてる札も結構あったので。

 

そして、ワタシのかるた人生は終わったわけだ。

かるた会なんて存在も知らなかったし。

高校(東京)に入って、三年の時、百人一首の試験はあったけど

今、母校のHP見ると競技かるた部もあるけれど

当時、あったのかどうか記憶にないし

その頃は、すでに、かるたの面白さはきれいすっかり消えて……

高校で部活する気も全くなかったし。

 

今思えば、転校しなければ、忘れなかったかも?

百人一首を教えてくれた担任は

引っ越さなければそのまま卒業まで担任だったし

かるた会か何か教えてくれた、はず。

 

なーんて、ちはやふるを読んで思い出した。

で、百人一首の札があるはずなんだけど、ない。

うーん、引越の時、か。東京→団地、の時はあった。

つーことは、団地から今の家にくる時に

いろんなものざくざく捨てたから……捨てたのか。

うー、詩暢ちゃん見てるとものすごい自分が冷血漢( ̄∇ ̄;)

もいっかい買おうかな。

まあ、かるた遊びはしないと思うけど

読み札飾っておくのも悪くない。

 

でもって、小四~小五の頭に完璧に憶えた札は

今も憶えてる、という、すごさ。

子供の時に憶えたことって忘れないんだな。

案外憶えてるもんなのは他のことでも経験済みだけど

でも、当時は「決まり字」なんてものは教わらなかったので

単純に歌を憶えてるだけだけどね。

 

何で百人一首が楽しかったかどうかは……

たぶん、今思えば、協調性がなくても出来たから、かも。

それまでバレエとか、箏とかやらされていたのだけど

どっちも協調性が必要だった。

踊るのは好きだったけど、

自分がちゃんと踊ることしか考えてなかったようなとこが……f^_^;

箏を弾くのは好きだったけど

唄は絶対に歌わなかったし。

それでも教師のお免状はもらったが。

↑この世界は、いろいろあるんです。

会にもよると思いますが。

教え子(弟子)を何人か教師にまでしないと、

その上の師範の試験が受けられない、とか何とかあったんです。

なので、ヒラの教師のお免状なんてたーいしたことないんです。

お金で買ったようなもの。

まあ、箏は弾くだけなら何でも弾けましたけどね。

三絃はかなり怪しかったけど。

小五で引っ越してから、日曜日に東京へ行って稽古、というのを

中3の夏まで続けたので……

中3で受験が来たら、とりあえず辞めると言ってあったので

それまでに教師のお免状あげようという

先生の優しさもあったと思いますが。

いや、でも、ン十万するんだよ? 教師のお免状貰うのに(笑)。

教師だけじゃなくて箏と三絃でそれぞれ

初傳、中傳、奥傳、皆傳…って取ってって

うちの母親、教師の免許もらうまでいくら払ったんだろうか……。

引っ越す時に、すでに皆傳くらいまで言ってたので

「辞める」と言ったワタシの言葉は華麗にスルーされました(;´▽`A``

ちなみに、教師のお免状の取得年月日は

中二の11月くらいになっていて、当時、最年少だと言われましたが

いやだって、唄のある曲も全く歌わないんだよ?

全然ダメでしょうよ。

ほんと、先生、すみません、ありがとうございました。

一生の記念にします。お免状。←えらく高額な記念品。

 

 

いや~昔のことを思い出すと

発端はワタシのことをわからなかった母親だけど

その後も母親に流されるままに進み

自分で自分のこともわかろうとしなくて

かなーり間違った方向に進んでったなあ、と思う。

だから、子供時代の記憶が楽しくなく…

思い出すと苦しいことばっかりなんだな。

 

 

ちなみにかなちゃんにそっくりな友達がいます。

古典好き、着物好き、巨乳……(〃∇〃) 

そしてかなちゃんのように優しい人です。

今度教えてあげようと思います。

あ~実写になったから知ってるかもなあ。

 

ワタシは実写は見ない派ですが。

基本的にアニメは音で聞いてる方が多いので

その音からはずれると、ちょっと辛い。

だから、キャストが変わるのもちょっと辛いのだけどf^_^;

キャストが変わっても

見てみたいと思うのは「彩雲国物語」くらいです。

でも、原作通りに作り直す、のが大前提ですが(^^ゞ

 

あ、それで思い出した。

神谷さんが大役を任されたそうで。

クレヨンしんちゃんな年代でもないので

戦国大合戦以外は見たことないのですが

(↑たまたま見たら、最後まで見ちゃって泣きましたヾ(´▽`;)ゝ

見たことがないので、オールオッケーですv( ̄ー ̄)

 

 

ひさびさに書くと

いろんなものが整理されますな。

やっぱり必要だな。